右の道

 

NHKの朝ドラ「まんてん」で、主人公の妻になる人が言った。

「私は、冒険に行きたかったんです」

それを聞いて私は、小さな冒険のチャンスを逃してしまったことを、思い出した。

小学校二、三年生の頃に、同級生四人とそろばん塾に通っていた。

行き帰りに通る道は、親たちによって決められていた。バス停2つ分を、バスの通る道ではなく、住宅街を通っていたため、遠回りしていたのだと後年知った。安全を考えてのことだったのだろう。

ある日、そろばん塾を出た所で、一人が、「こっちに行ったらどこに行くんやろう?」

と右の方を見て言った。

帰りは、そろばん塾を出て左へと曲がるのである。

「今日はこっちから帰ってみいひん?」

冒険だ。

だがその時の私には、右に曲がって行くとどこに出るのか、というワクワクはなかった。もし全然わからないところに出て、迷子になったらどうしよう、という怖さしかなかったのだ。

私は〈冒険〉への一歩を、踏み出すことができなかった。

その日は、二人ずつ二手に分かれて帰ったのだった。

後日、右の道から帰った二人が、

「どこに出たと思う?」

とニコニコしながら聞いてきた。

もとより、知る由もない。

「高校の下の方に出てん。バスの通る道」

二人は口々に話して、

「楽しかったなー。二人も来たら良かったのに」

と笑い合った。

(そんなところに出るのだったら行けば良かった)

だが、その思いは形になる前に、葬った。

楽しそうなその様子が羨ましくもあった。

だが私は、

「へぇ、そんなとこに出るのか〜」

と、そう言っただけだった。

その後、みんなで右の道から帰ったことがあったのか、それともそれから後は、決められた道だけを通ったのか覚えていない。

右の道を後で通ったとしても、それは結果を知っていることの事実確認でしかない。大きく心を動かされることはない。

(あの時……)とよく思い出す。右の道へ行っていたら……。

その思いは、私の中で澱のように沈殿し固まっている。

あの時、もし流されるままに右の道へ行ったとしても、「ワクワク」は持てなかっただろう。もちろん「ワクワク」の先にある「楽しさ」も実感することはなかったはずだ。

冒険にワクワクできなかったこと、それこそが右の道を選ばなかった原因である。

今思えば、人生の楽しみのカケラをひとつ、取り損ねたのだ。仕方のないことだけれども。

その後、二十歳ごろに、どんな団体かもわからないのに、「アルセーヌ・ルパン同好会」に速攻で入会した。すると間もなく、そこのつながりで大阪にあるミステリー研究会の者だという知らない人から電話があった。

行ったことのない場所に、知っている人が誰もいない所へ、一人で会合に出かけて行った。

怖がりの季節から、好奇心の季節へと変わったのだった。

何年も、何十年もかけて、あの時のリベンジをずっとしているのかもしれない。

好奇心の季節を経験し、未知のものを知るワクワク感を知ったが故に、あの日、右へ曲がる方を選ばなかった小さな私に、残念な気持ちを持つのである。

(了)

 

 

 

春に思うこと

 

春である。

春は落ち着かない。

眠っていた自然が目を覚まし、生命輝く季節。

花粉症についてはさて置くとして、花は咲き乱れ、鳥たちは歌い、木々は力強く芽吹き、明るくなっていく。浮かれるなというほうがムリなのだ。

ただ私の場合、浮かれるのと同じ大きさで、反対方向にもベクトルが向くのである。

ウキウキするのと同時に、どこか哀しくて気が沈む感じもするのである。それを自覚したのは中学生の頃だった。

その頃、私は詩を書いていた。桜や春などはよく使うモチーフだったが、「春」は何か心許ない感覚が付きまとい、哀しみや闇など暗いイメージの詩を作っていた。春の陽光の輝きを、そのまま素直に表すということは思いもしなかった。

大人になってからもその感覚は変わらなかった。それはたぶんその感覚が、思春期独特の心の不安定さというような一時的なものではなかったからだと思っている。

この感覚について、大人になってから思いついたことがあった。

[ ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらん ]

ご存知のとおり、紀友則の歌である。

なんとなくこの歌のイメージに重なると気づいたのである。

明るいのどかな春の日差しの中(うきうきと気持ちが上がる中)、どうしてそんな気持ちを満喫することなく、はらはらと(風もないのに)散り急ぐのか。

なぜ落ち着いていないのか、と諌めるようなニュアンスではなく、散り急がないでくれ、と祈るような、惜しむ気持ちである。

私にとって「春」イコール「しづ心なく花の散るらん」なのだ。

だから、浮かれるのと同じ大きさで、反対方向にもベクトルが向くのだろう。

そんな風に大人になってからは思ってきた。

 

だが、二十二年前のある日、私は突然に解ったのである。私がなぜ春を素直に謳歌できず、哀しいなどと感じてしまうのか。

二十二年前の四月半ば、桜の花とともに父が突然六十九歳で逝ってしまった。

父とは夜遅くにビールとうどんという不思議な組み合わせで、形而上学的な話からくだらない話まで、いろいろによく語り合った。

運命論者というわけではないが、父を見送りながら、ああ、そうだったのか、と私自身はとても深く納得したのである。

そんなことが中学生の頃からわかっていた訳ではもちろんない。この説明は人様には奇異に受け取られるのだろう。ただのこじつけだろうと笑われるのだろう。

だが私には、ストンと腑に落ちたのだ。

こういうことが起こると決まっていたので、分子や原子のレベルでそれを感じて「春は哀しい」という感覚を持っていたのだ。

 

それに気づいた時に、もうひとつ思い当たることがあった。

私自身に記憶はないが、私が一歳の誕生日を迎える前の春に、父の母―祖母―が亡くなっている。

祖母は、親戚や近所の人達にとても慕われていたそうだ。そんな祖母を見送った人たちの想いが、まだ生後4ヶ月余りの私のあらゆる細胞に「哀しみ」として染み込んだのかもしれない。

そんな風にも考えるのである。

私にとって春は、「哀しくうきうきする季節」であり、落ち着かない。