二十代三十代の頃は、子どもだった過去を思い出しても懐かしむというよりは、あったことをただ思い出すという感覚だったように思う。今とそれに続く未来へ軸足が向いていたのだ。
そんな頃の写真が、実家の私の部屋に山ほどある。同じところに「1995年郵便物」という束もあり、よく覚えていない差出人の名前がいくつかあった。そういえば…、となんとなく思い出す人もいるが、どこで(何で)知り合ったどんな人なのか全く覚えていない人もいる。申し訳ない。
将来、実家の処分を業者に任せるかもしれないが、写真や手紙はあまりにもプライベートすぎて不安が残る。だから、時間のある時に取捨選択をしておこうと決めた。実家じまいに向けて、重箱の隅をつつくような第一歩である。
写真を部屋に広げていくと、紙の写真は一度に多くのものを見られるのだと気がついた。ジャンルごとに分けたのだが、それぞれのジャンルの「雰囲気」が霧のように立ちのぼって来るようだ。紙の写真はこういう感じがいいなあと思った。色褪せたものを残念と思うか、時の流れをそこに見るか。
ジャンル別の山が増えて高くなっていく。芝居(所属グループ別)、日本舞踊、着付け、それぞれの稽古風景や舞台の写真。アルセーヌ・ルパン同好会の写真。二十七年間勤めた会社の宴会やバーベキューや旅行などの写真。友人の結婚式と二次会の膨大な写真。友人との旅行(グループ別)の写真。他に郵便物の束には、詩の同人誌、推理小説のサークルなど所属し活動していた時のものも多い。
写真を振り分けながら思い出すことも多いが、思い出せないことも多い。なぜこのメンバーで行ったのだろうとか、これはどんなシチュエーションだったのかとか。まるで幾日か前に見た夢を思い出そうとするのに似ている。
続いているものは少ないが、グータラな私がよくもまあこんなにいろいろとやってきたものだなあとしみじみ思う。自他共に認める「極道楽の女」だった。
写真について思い出されるのは、その時のシチュエーションではなく、感情である。写真のその時を含めてその前後も芋づる式に思い出す。楽しかったことも、淋しかったことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、苦かったことも、障子を通した光のように私を包む。
ああ、そうか。
胸に広がってゆくこの暖かいような、悲しいような、愛しい感じ、これを「懐かしい」と言うのだと思った。
二十代三十代の時のそれとはあきらかに違う。
織田信長がよく舞ったという幸若舞『敦盛』の一節、「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」を思い出した。六十年近く生きてきて振り返った時に、泣いたことも笑ったことも全てまるで夢であったかのような感覚を覚えたのだ。“下天”と比べるまでもなく、夢まぼろしの如くなり、だ。
墓じまいだ、家じまいだと、自身の寿命のことも考え始めたからか、「過去」の量が多くなったからか、二十代三十代の時の感覚とは違ってきたのだろう。
人間百年、まだまだ老けこんではいられない。
けれどこの「夢まぼろしの如くなり」という懐かしい思いは、そっと抱きしめていようと思う。
了 (2025.05.31)