冬の日のトリップ

私の最近の読書は、通勤電車の中か昼休みのカフェですむ。

家で腰を据えて読むことはほとんどない。

しかし若かりし頃、高校の頃から三十歳頃にかけて、こよなく愛した「本の時間」がある。

その頃、父と私は南東の部屋と西の部屋の交換をよくした。

私はどちらもそれなりに好きだったが、南東の部屋をよく使っていたように思う。

その部屋は冬に陽射しがよく入り、明るくほかほかとできた。昔の作りなので、夏はあまり陽射しは入らないようにできていたようだ。 

なんの予定もない天気の良い冬の日、私は大好きな時間と空間を作るためにいそいそと用意をするのだった。

散らかった部屋の陽の当たるところにスペースを作り、クッションを畳の上に置いて、大好きなメーカーのチョコレートとたっぷりと入れた紅茶の大きなマグカップを小さなトレーにセッティングするのである。

そして、その時読んでいる本を持って座る。

冬の陽射しに包まれて、紅茶とチョコレートと本の世界だけが全てになる。日常の音は何も聞こえない。

その頃によく読んでいた作家は、モーリス・ルブラン(アルセーヌ・ルパン シリーズ)、栗本薫、門田泰明、佐野洋、赤江瀑、小池真理子などである。

私が好きで読んでいるので、どの作家のどの作品でもまっすぐにその世界に潜り込んでいける。結果、その中の登場人物やその場面それぞれに気持ちが入り過ぎてしまう。

例えばアルセーヌ・ルパンの活躍にワクワクしたりハラハラしたり、彼の失恋に泣いてしばらく読み進められなかったこともある。また主人公の気持ちとシンクロして、あるスターに身も心も捧げやり場のない想いに身を焦がしたり、企業間の世界で暗躍したり、事件の謎に巻き込まれたり、耽美な世界に酔い痴れたり、私達の日常の世界から少しズレた恋に耽溺したりした。

それは堪らなく心地よいのだが、それと共に非常に疲れるのである。なぜなら、私はその世界に「生きて」いたのだから。

いわゆるトリップ、異世界への旅である。

とても容易くトリップするのである。たぶん作者の力量と、私の「入り込むぞ」というパワーの相乗効果なのだと思う。

酒も薬も何も要らない。ただ冬の陽射しと本の世界、そして時々の紅茶とチョコレート。

異世界はそれだけで成り立ち、それだけで生きてゆけた。

ただ、トリップしている時間が長ければ長いほど、日常に戻るにも時間を要した。読み終わった後は殆ど放心状態に近かった。

今思い出しても、心地良い疲れを伴う至福の時間だった。

最近はそんな時間を持つ事はない。楽しい本を軽く読み、またノンフィクションのジャンルにも興味を持ち少しずつ読む。そしてすぐに日常に戻る。

それはそれで良い。それで良いが、こうして思い出してみるとあの疲れが懐かしい。

またそんな時間を作りたいものだ。

                (了)      2025.01.07