〜今日という日、明日のために〜 2024年6月3日(好奇心に注意)

身がいった!

↑ コレは、「筋肉痛」のことです。足、太ももに身がいったのです。辛いというほどのものでもないのですが。

原因は昨日の実家の庭。

何ほどもしていないのに……。しょーがない、普段何もしていませんから。(開き直る)

さて今日は、ビックリしました。

帰りに、乗り換える駅で電車を降り改札に向かおうとすると、ケンカの声が!

なんと、五十がらみの男性と二、三十代の男性がお互いに胸ぐらを掴んで睨み合っています。

初めてですよ! そんな光景を目の当たりにするのは。

駅員さんを呼んだほうがいいのかな、このまま終われるのかな、どうしようどうしよう、と少し離れたところで、ボサッと立っていました、わたし。

お互い文句を言ってましたが、聞き取れはしませんでした。意味のない威嚇の言葉だけだったのかもしれません。

そんな状態からいきなり、年配の男性の方が声を荒げました。ビクッとして、どっちの改札口に行けば(駅員さんを呼びに)いいだろうかと、キョロキョロしながら様子を伺うと、お互い怒りがおさまらない様子ではありましたが、胸ぐらを掴んでいた手を離し、年配の男性が二、三言捨て台詞を吐いてその場を離れて行きました。

おしまい。

うーん。彼らの間に、何があったのでしょう。

インタビューしたいけど、怖いし……。

と、こんなことを考えると、子どもの頃に母に言われた言葉を思い出します。

「好奇心、猫をも殺す」と。

俊敏な猫でも、好奇心のおもむくまに突っ走ると命を落とすことになる、というような意味にとっておりました。

………………。

今、調べてみると、本来の意味はちょっと違ったようです。

イギリスのことわざだそうです。

俊敏な、というのではなく、猫は九生あり、容易には死なないと言われていて、でもそんな猫でも好奇心が原因で命を落とすことがある、という大意のようです。

行き過ぎた好奇心は身を滅ぼす、ってなことで、私の子どもの頃の理解もまんざら外れてはいなかったみたいです。

それにしても、母がイギリスのことわざを使うなんて・・・!?

話を元に戻して、

そのケンカ、私がいても何にもならない、とは思いましたが、ずっと離れて見ていました。

好奇心半分、心配半分。

大事にならなくて良かったですわ。

では、今日の「良かったこと」です。

  • 見かけたケンカが大事にならずに済んだ。
  • 友人と夕食。喋り通しで発散した。
  • 注文した本が届いた。

本、また買ってしまったよ。

最近は本が読めるようになって嬉しい。

まだまだ若い頃のように没頭しては読めないけれども。

無理せず、愉しみます♪

では! おやすみなさい。

また明日 (^^)/~~~